Pinto Ferraz ドトールストーリー ピント・フェライス物語
ピント・
フェライス物語― ドトール誕生秘話 ―
ドトールコーヒーは、
一人の青年が海を渡り、
コーヒーの本場に身を置いたことから
始まりました。
異国の地で出会った文化や人々、
そして日常の中にあるコーヒーの姿は、
やがて「一杯のおいしいコーヒーを通じて、
人にやすらぎと活力を届けたい」
という想いへとつながっていきます。
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1959
青年は、
コーヒーの本場へ1959年。終戦から14年、日本が復興の歩みを進めていた頃、一人の青年が横浜の山下埠頭からブラジル行きの船に乗り込みました。のちにドトールコーヒーを創業する、鳥羽博道です。42日間の航海の末にたどり着いたブラジルで出会ったのは、コーヒーが人々の暮らしの中に自然と息づいている光景でした。農園では生産の現場に身を置き、コーヒーづくりを体で学びます。地平線の彼方まで広がる農園と、自然とともにある営み。その風景に触れる中で、いつの日か自分もコーヒーづくりの現場を持ちたい。そんな思いが、青年の胸に芽生えていきました。サンパウロで暮らした「ドトール・ピント・フェライス通り85番地」。この場所での経験が、のちのドトールの原点となります。
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1962
喫茶業の
意味を問い続けて帰国後、鳥羽はコーヒー豆の焙煎会社を設立します。社名は、ブラジルで暮らした地名にちなんで「ドトールコーヒー」と名づけられました。時代は高度大衆消費社会へと向かい、人々の生活は豊かさと引き換えに忙しさを増していきます。そんな時代において、鳥羽の中にあった問いが、次第に輪郭を帯びていきました。喫茶業とは、何のためにあるのか。たどり着いた答えは、「一杯のおいしいコーヒーを通じて、お客様にやすらぎと活力を提供すること」。この考えは、単なる理想ではなく、味づくり、店づくり、人づくりへと受け継がれていく、ドトールの基本精神となっていきます。
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1971
「これだ!」と
確信した店のかたち1971年、ヨーロッパのコーヒー業界を視察した鳥羽は、パリのシャンゼリゼ通りで、ある朝の風景に足を止めます。出勤前の人々がカウンターに並び、クロワッサンとコーヒーで一日の始まりを迎えている。その姿を見た瞬間、心の中で思わず叫びました。「これだ!」と。コーヒーが、日々の生活の中で無理なく親しまれている姿。安く、早く、それでいて本当においしいコーヒーを提供する店が、日本にも必ず必要になる。ヨーロッパで受けたこのカルチャーショックは、やがてドトールコーヒーショップ誕生へとつながる、大きな原風景となります。
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1980
原宿から始まった、新しい朝
1980年4月18日、東京・原宿。間口4メートル、奥行7メートル、わずか9坪の小さな店から、「ドトールコーヒーショップ」はスタートしました。コーヒー1杯150円。当時としては大胆な価格でしたが、それは原価から導き出されたものではありません。毎日飲んでもお客様の負担にならない価格はいくらか。その発想から決められたものでした。紙コップではなく陶器のカップを使い、味だけでなく空間の心地よさにもこだわる。店内の絵画や花、照明の明るさ、清掃に至るまで、すべては「はじめに、お客様ありき」という考え方から生まれています。開店当日の朝、店を訪れる人々の表情を見ながら、鳥羽は確かな手応えを感じていました。
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1991~
感動を呼び起こす、うまさを
事業が成長する中で、若き日にブラジルで抱いた夢が現実になります。1991年、ハワイ島コナ地区に直営農園「マウカメドウズ」を開設。さらに農園を広げ、コーヒーづくりを原料の段階から見つめ直す取り組みが始まりました。鳥羽が大切にしてきたのは、「うまさとは、人の心に感動を呼び起こすものでなければならない」という考え方です。自分自身が感激できるものだけを商品にする。その姿勢は、いまもドトールの味づくりの基準として受け継がれています。一杯のコーヒーが、人にやすらぎと活力をもたらす。その想いは、創業の頃から変わることなく、これからもドトールの歩みを支え続けていきます。